どうも賭けには負けたらしい。
アルトルージュは忸怩たる思いと共にその認識を受け入れた。
ぶっつけ本番としては上手くいった方だとは思うが、状況打開に至らないのであれば意味が無い。
眼下のエンハウンスの魔剣に赤黒い炎が集中していた。
おそらく自分を完全に消し飛ばす為の力を溜めたのだろう。アレを受け切れる者など二十七祖の中にも果たして何人いるか。
そうして諦観したアルトルージュの視界に飛び込んできたのは、唐突に胸から刀の切っ先が生やしたエンハウンスの姿だった。
その刀を握る者の名は――
「七夜……慧」
それは紛れも無く七夜慧の姿だった。
頭から灰を被ったのか、全体的に白っぽくなってしまっている点を除けば先程までと何ら変わった様子は見えない。
そう……一体どんなトリックを使ったのかは知らないが、彼はあの業火の渦に呑まれながら火傷一つ負っていないようだ。
しかもアルトルージュにも気付かせる事無くエンハウンスの背後に忍び寄り、一撃を加えた。
一体どうやれば上空から見下ろしている相手にわからないように動けると言うのか。
最早どこに驚いたらいいのかすらアルトルージュには理解不能だったが、ただ一つ確かな事がある。
それは兎にも角にもあの奇妙な少年が生きていてくれたという事。
今の所はそれだけで充分だった。
永月譚〜月姫〜序章‐第八話
「!」
慧が素早く刀を引き抜き後退するのと、大剣が慧のいた空間を薙ぎ払ったのにはコンマ一秒ほどの差も無かっただろう。
「ほう……」
あの状態から、それでも剣を振るったエンハウンスに慧は思わず感嘆の声を漏らしていた。
変身の恩恵か。先程は致命傷となった筈の心臓への一撃が今回は大した効果は無かったと見える。
だが全く通じなかったと言う訳でも無いだろう。エンハウンスの並外れた精神力があってこその今の一撃である。
エンハウンスは苦しそうに再び開いた胸の穴を押さえながら、しかし全く衰えぬ炎を宿した瞳を慧に向けた。
「貴様……一体……」
口から零れたのは垂加の声。
それも当然だろう。魔剣の力は間違いなくエンハウンスにとっての最強力。
それが全く通用しないという事態に動揺するなと言う方が無茶である。
やっぱり首を刎ねるべきだったかなーとかなり物騒な反省をしていた慧は、エンハウンスの言葉に一瞬不思議そうな顔をしたが、すぐにその真意に気付いて「ああ」と呟いた。
「そんなの秘密に決まってるだろう」
「…………」
これまた当然の対応である。
自分の能力を懇切丁寧に説明してやる等、余程の自信過剰か単なる馬鹿だ。
特に地力で劣る人間が強力な魔から勝利を捥ぎ取ろうとするならあらゆる手段を打つ必要がある。
わざわざ相手の疑問を解消して動揺を静めてやる必要性はどこにも無いのだ。
だが動揺している側からすれば勿論「はい、そうですか」と引き下がれる筈も無く、揶揄するか如き慧の言葉への返礼は怒りを籠めた一撃だった。
タン!と地を蹴り、後方へ跳んで躱す慧。
しかしエンハウンスは素早く体勢を立て直すと下がる慧に追い縋った。
掬い上げるような軌道の斬撃を、慧は巧みに受け流す。しかしエンハウンスの狙いは別にあった。
――轟!
刀と剣が擦れ合って発生する火花から引火したかの如く、膨れ上がった炎が一瞬で慧を包み込む。
だが――――それは何の前触れも無く、アッサリと消滅してしまった。
「なっ!?」
エンハウンスは今度こそ言葉を失って茫然と眼を見開いた。
『アヴェンジャー』の炎は直撃すればそれこそ相手が精霊や真祖であってもダメージを与えられる代物なのだ。
世界中探してもこれを完全に防ぎ切れる存在など、果たしてどれだけいるか。
それでも防げないと言う事は無い。エンハウンスも慧が何らかの魔術や防御系の魔具でも使用したのならばここまで驚く事は無かっただろう。
だが彼は今“何もしなかった”。
本当に無防備に炎を喰らい、そしてまるで炎の方が彼を害する事を拒否したかのように消失してしまったのだ。
“神秘”を打倒するにはそれ以上の“神秘”を以って行うしか無いというのはこの世界の常識だ。
ならば――この何の変哲も無さそうな七夜慧という人間が、実は魔剣すら遥かに凌ぐ“神秘”で出来ているとでも言うのか。
そんな……
「そんな馬鹿な話があってたまるか!!!」
叫びと共に魔剣から炎が撃たれた。
先程アルトルージュに放つつもりだったのと同様の炎を極限まで凝縮した最高の一発。
だが――それすらも慧の腕の一振りであっさり霧散する。
もはや疑いようが無い。七夜慧に対してこの炎が何の意味も持たない事を。
(一体どうなっている?)
自問したとて答えが出る筈も無い。
そもそも何度も言っているように七夜慧は一見した処では何の異能も感じさせないのだ。
帯びた魔力すらそこらの一般人以下でしかない。
何の理屈も無く、ただ効かないだけ。霊体を鉄剣で斬れないのと同じだ。
(勝てないのか?――――コイツには)
今まで勝てないと思った戦いは何度もあった。
二十七祖と言っても半端者の彼の力は死徒の中でも下位に位置する。
ちょっと上位の“魔”ともなればエンハウンスにとっては格上。圧倒的な能力差に死を感じた事も一度では無い。
それでも彼はその全てを切り抜け、生き抜いてきた。だがそれも自分の攻撃が相手に通じるという前提があってこそ、だ。
言い換えれば、攻撃が効かないのであれば相手をどれだけ戦闘能力で上回っていようが勝てる訳が無い。
絶望が、ゆっくりと広がっていく。
心が、折れる。
――ドクンッ!
「!!!」
その瞬間、魔剣が鳴動した。
送られてきた今まで以上のイタミに我に返ったエンハウンスが見たのは、既に目前に迫った慧の姿だった。
閃光の如き一撃を辛うじて受け止める。これまで何度も交わしてきた攻防だ。
「――!」
その時、ようやく“それ”に思い至った。
魔剣の炎という自分にとっての最大の攻撃が効かなかったショックで頭の隅に追い遣られていた事実。
そう。今までこんな攻防を自分と慧は繰り返してきた。
自分は慧の攻撃を何度も受け止めたし、慧もまた自分の攻撃を必死で防いできたのだ。
それは何故?
考えてみれば簡単な事だった。攻撃が効かないのであれば防御など必要あるまい。
逆に言えば……防ぐという事はその攻撃が有効である事の証明に他ならない。
奇妙な事だが、七夜慧には魔炎は効かないが通常の斬撃などは有効なのだ。
「――――フ」
そんなとっくに分かり切っていた事に気付かせてくれたのは、今や文字通り自分と一つになっている魔剣。
先程の普段とは違う働きは闘志を萎えかけさせた情けない主に対するお仕置きだろう。
この上なく扱いづらい相棒だが、向こうも向こうなりに自分の事を認めてくれていたらしい。だったらもうちょっと使いやすくなってくれと言いたかったが。
再び漲ってくる気力を乗せて、エンハウンスは慧ごと『アヴェンジャー』を振り抜いた。
(ああ、こいつは本当に――強い)
慧はただそれを認めた。
自分の力が通用しないとあれば、大抵の相手は動揺する。それは仕方の無い事。
だが――そこから即座に這い上がって来られる者は滅多にいない。
これは特に高位の“魔”に多い傾向である。
“魔”というのは大概が生まれ付いての超越者だ。
彼らは“魔”であるからこそ、その圧倒的な権能があるからこそ強者として振舞う事ができる。
まぁそれはある意味仕方の無い事なのだが。“魔”にとって異能とは使えて当たり前の力。人間にとって手足があって当然なのと同じである。
しかし、だからこそ……その異能が通じなかった場合、彼らには打つ手が無くなってしまう。
それはヒトから転じた死徒とて例外では無い。
人間とは基準からして違う肉体性能。
『復元呪詛』による反則的な不死性。
何より常識外の在り得ざる異能の力。
人外となった事で手に入れた様々な特権が、彼らにヒトを超えさせる。
だが、それ故にそのアドバンテージを失った時、彼らはそれを受け入れられず、対応できないのだ。
しかしエンハウンスはそれを撥ね返した。
それは彼が自分の能力に胡坐を掻いただけのただの強者でない事の証。
厳しい鍛錬と幾多の死線を超え、自らを高めてきた戦士だけが到達できる意志力の境地に彼はいる。
本当に最後の最後に勝利を掴むのは、正にエンハウンスのような存在なのだ。
その真理は現実として慧を徐々に追い詰めつつあった。
元々開きがあった上に魔人化によりさらに跳ね上がった身体能力。
そして“炎”という選択肢を捨て、斬り合いにのみ意識を集中できるようになった事がエンハウンスの剣をより強力なモノにしている。
慧にとって辛うじて幸いと言える要素があったとすれば、魔人への変身は能力の強化と引き換えにエンハウンスの凶暴性を増大させていた事だろう。
それがエンハウンスから理性を奪い、彼の太刀筋に若干の乱れを生じさせていたのだ。
もしその僅かなペナルティが無ければ……この闘いの幕は既に引かれていたかも知れない。
だがそれも結局は決着の時間を少し遅らせる事しかできなかったようだ。
大きく振るわれた一撃を、とうとう慧は捌く事ができなかった。
「がっ!」
慧の手から刀が跳ね飛ばされ、体勢が大きく崩れる。
エンハウンスはすかさず無防備な彼の胴体に蹴りを叩き込んだ。
それは何の変哲も無い前蹴りだったが、慧にしてみればハンマーか何かをフルスイングされたのと変わらなかっただろう。
同年代と比べればやや小柄な部類に入る慧のモノとはいえ、ヒト一人の身体が玩具の人形のように軽々と宙を舞う。
あまりの勢いに碌な受身も取れず、少し離れた所にあった廃墟の壁に叩き付けられた慧が吐き出したのは肺から搾り出された空気でも苦痛の呻きでも無く、
「ぐ、ゲホ!」
不吉なほどに朱くて紅い鮮血だった。
たった一撃。
片や散々急所を貫かれたにも関わらず平然と立ち続け、片や放った側からすれば必殺でも何でもないただの一撃でも受ければ致命傷になりうる。
そんな理不尽こそがヒトと死徒の戦いの現実だ。
(…………く)
壁に叩き付けられた際に背中だけでなく頭も打っていたらしい。
意識が朦朧として考えがまとまらない。
ドロドロの視界は何も映さなかったが、脳裏に様々な情報が流れ込んでは一瞬先の未来が視えるのだけは止まらなかった。
『天眼』の絶対知覚とそれを利用した未来視を反射行動の域まで身体に馴染ませていたのがこの瞬間だけはツライ。
まるで幾つもの鐘が反響し合うかのように、ダメージによる衝撃と『天眼』の反動の痛みが共鳴して慧の頭を苛んでくる。
気を失う事だけは避けようと辛うじて踏み止まる慧の意識の裏でただ一言、“それ”は鳴り響いた。
――――“コロセ”、と。
後書き
う〜む、心なしかエンハウンスが熱血しててカコイイですよ?
と言う訳で第八話終了。
そしてとうとう慧の持つもう一つの特性が明らかに。
これに関しては如何に論理的に「いやそれ反則……」的な抗議を戴いても修正はしないつもりですので。
まぁまだその全てを表現した訳ではありませんし、単純な便利無敵能力にはしないので容赦いただきたいです。
次話あたりで対エンハウンス戦もいよいよ終了する、かも。
慧とエンハウンスがご対面したのが五話なので……なんだかんだでもう四話(実際の戦闘は三話)も遣り合っている事に。意外に長い。
やはり次で決着するべく頑張りますよ。いい加減本編キャラも出したいですし!
そして最後の部分。賢明なる読者の方々なら一瞬で理解されたでしょうが、慧バージョンのアレが出ます。
最初は出す気無かったんですが、「仮にも二十七祖のエンハウンス(覚醒)相手に素のままはどーよ?」という内なる声の指摘により出す事にしました。
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