それは絶対的な死の具現だった。
稲妻のような速度で振り下ろされる魔剣は、あらゆる抵抗を粉砕するだろう。
その刃を支える意志は正に鋼。ゆえにその一撃は必殺。防ぐことも躱すことも許されるはずがない。
だが、
この身を切り裂かんとした刃は、
この身を傷付けることなく地に落ちた。
「よう」
果たしていつそこに立ったのか、目の前には黒い背中。
音も無く現れ、返せぬ筈の一撃を当然の如く返してみせた彼は、呆れる程素っ気無い挨拶を口にした。
永月譚〜月姫〜序章‐第五話
変わらず身体を苛む激痛に身動きも取れないまま、アルトルージュは少年に見下ろされていた。
「んー」
かすかに首を傾げ、こちらをそれこそ頭の上から爪先まで眺める顔は見事なまでの無表情。そこからはコレと言った思考を読み取ることはできない。
一体何を考えているのか。
訝しがるアルトルージュに構わず彼は
「……ん」
と小さく呟くとその前にしゃがみ込み――彼女のスカートを捲って中を覗き込んだ。
「ちょっ……貴方、何を……――――!!!」
少年の唐突の所業にアルトルージュは思わず痛みも忘れて抗議しようとし――だがそれは今まで以上の激痛に阻まれた。
在ろう事か……少年は纏わり付いている炎ごとアルトルージュの傷口を鷲掴みにしたのだ。
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!」
流石に堪えきれず絶叫しようとしたが痛すぎて逆に声が出ない。
のた打ち回る事もできずに身を震わせるだけのアルトルージュだったが、
「まだ痛むか?」
その平坦な問い掛けに、キレた。
「痛いに決まってるでしょーーーーーー!!!」
意外と近くにあった少年の顔に全力で拳をぶち込んでやる。
アルトルージュの放ったストレートはキレイに命中し、少年は見事な放物線を描いて吹っ飛んだ。…………その感触と光景にちょっと気分がスッとした。
少年はしばし四肢を伸ばしてバッタリ倒れていたが、やがて殴られた頬を押さえて起き上がる。
「痛い」
ぽつりと漏らしたそれは心なしか哀しげだった。
「それはこっちの台詞よ! いきなりあんな事するなんて何考えてるの!」
だがそんなもの知った事かとがーっと怒鳴りつけるアルトルージュ。
その剣幕をさらりと受け流して、少年はあくまで平然と訊き返した。
「何だ、まだ痛いのか?」
「そんなの痛いに決まって……あれ?」
痛みが……無い。
無論『足を切断された』痛みは健在だが、傷口から内部が侵されてゆく激痛は完全に無くなっている。
慌てて傷口を確認すればこびり付いていた炎も綺麗さっぱり消え失せていた。
「一体、何を……」
訳がわからない。だがこれなら傷を治す事が
「あ、それ無理。二、三日は『復元呪詛』も治癒魔術も効かないから」
「何よそれ!」
今度は手が届かなかったのでそこらの小石を投げ付けてやった。
流石にそれを甘受するつもりは無いのか、ひょいと躱して彼は微かに嘆息した。
「……なんか我侭だね君。一体何が不満なんだ」
「不満に決まってるでしょう。頼んでもないのに勝手な事ばかりして偉そうにしないで」
「俺が助けなきゃ死んでたと思うが……ああ、成程。死にたかったのか。だったら悪い事したな」
「う……」
あっさりと投げ掛けられたその言葉を切り返す事はできなかった。
この少年の助けが無ければアルトルージュ・ブリュンスタッドは死んでいた。それだけは間違えようのない事実なのだから。
「……文句言って悪かったわよ。さっきは助かりました」
「ん?……………………ああ」
言葉の意味がわからなかったのか、少年は少しの間不思議そうにしていた。だがすぐに理解したのだろう、やはり小さな動作でコクリと頷く。
そして一瞬の間の後「助けてよかったのか」と言う呟きがアルトルージュの耳に届いた。
……危なかった。さっきの言葉は揶揄でも何でもなく本気100%だったらしい。黙ったままでいたら本当に放置されるところだった。
アルトルージュが知らぬ所で綱渡りしていた事に気付いて慄いていると少年が再びその前にしゃがみ込む。
「な、何?」
先程の件もあって少々警戒するアルトルージュに少年は気軽な動作で手を差し出した。
「足。止血くらいは必要だろう」
「え?……ああ、そうね。お願いするわ。でもちょっと待って」
普段なら多少の怪我くらい数秒で治ってしまうので止血という発想自体が無かった。だが今の状況では必要かもしれない。
アルトルージュはぶかぶかになったドレスを元のサイズに“創り直して”から、切断された方の足を突き出した。
「ねえ」
「ん?」
「……どうして私にここまでしてくれるの?」
「前も言ったが実の所大した理由は無いよ。俺は自分のやりたいようにやっているだけだから」
「私は……死徒、吸血鬼よ?」
「だから?」
「だから、って……」
絶句したアルトルージュに構わず少年は慣れた手付きで止血を済ますと刀を携えて立ち上がった。
振り向き、こちらを睨んだまま立ち尽くすエンハウンスに向けて歩き出す背中をアルトルージュは慌てて呼び止めた。
「待って」
「何? いい加減向こうも待ちくたびれてると思うんだけど」
「名前」
「え?」
「貴方の名前、教えて。私はアルトルージュ。アルトルージュ・ブリュンスタッド。貴方は?」
「俺は慧。七夜慧だ」
――コイツは一体何者だ?
見れば見るほどあの少年には警戒するべき部分が見当たらない。
今まで戦ってきた吸血鬼や魔術師が大なり小なり持っていた“神秘”の気配が、彼には全くと言っていい程感じられなかった。
辛うじて携えた刀は相当の年代モノなのか、そこそこの力を宿しているようだがそれすらも彼の魔剣と比べれば有って無いようなものだ。
あまつさえ彼はこの状況下でこちらに背を向けた。
その姿は正に隙だらけ。駆け寄り、その背に一撃を入れるのにまばたき程の時間も要るまい。
だが、それでもエンハウンスは動く事ができなかった。
彼の戦士としての直感が告げているのだ。
迂闊に仕掛ければ首を刎ねられるのはこちらだ、と。
通常死徒のような超越種は高い能力を持ち死に難いが、故にそれに反比例して危機察知能力は低くなりがちだ。
このような『戦士の勘』といったモノを持っているのは二十七祖の中でもエンハウンスを除けば武闘派と名高い黒騎士くらいのものだろう。
固有能力を持たないエンハウンスにとって、それは今までも何度も命を救われた、何にも勝る“武器”なのだ。
如何に隙だらけに見えようとも、その訴えを無視して仕掛けることはできなかった。
加えて彼には先のトドメの一撃を防がれている。
先程の一撃には文字通り渾身の力を籠めた。
仮に何かが割り込んで来たとしても、その障害ごと両断してやるつもりで斬り下ろした。
だが、その必殺の一撃はあの黒衣の少年の前にあっけなく受け流されてしまった。
それだけでも彼が並ならぬ相手であることの証明になるだろう。
やはり迂闊に動けない。
…………さっき何故か死徒の姫に殴り飛ばされていた時なら斬り込めたかも知れないが、それはそれで予想外すぎて動けなかった。
まぁ待つのは彼にとっても決して無意味な事ではない。『復元呪詛』によって彼の負った傷は急速に癒されている。
これならば少年と戦う事になっても万全の状態で挑めるだろう。
地面に突き刺した魔剣の柄を握り直し、空いた左手でエンハウンスはボロボロになったコートの内側からあるものを取り出した。
二本の黒い銃身を並べた独特の形状。俗にショットガンと呼ばれる銃器の一種だ。
アルトルージュとの戦いでは使う機が無かったが、これが魔剣と並んで彼が頼りにしている武器。
聖堂教会より借り受けた『聖葬砲典』と言う名の概念武装だ。
死徒である彼が教会製の武器を所持しているのは一見奇妙だが、彼と直接接触した埋葬機関と言う部署はそれこそあらゆる手段を用いて『神の教え』に反するモノを狩り尽くす機関だ。
その“あらゆる手段”の中にはエンハウンスのような死徒でありながら死徒を狩る者を利用する事も含まれるらしい。
彼が借り受けた『聖葬砲典』はさすがに概念武装の中でも最高位に位置する『聖典』クラスの代物に比べれば数段見劣りする。
それでも“天寿”の概念を有する“銃身”である以上、“不死”の属性を持つ吸血鬼相手には有効な攻撃手段となる。
相手はただの人間だが……それこそ銃というだけで充分だ。
エンハウンスは彼の戦法を知らない。だが先程の攻防から見ても刀に依る接近戦が主軸になる事は間違いあるまい。
遠距離から一方的に攻撃できる銃があればある程度優位に立つ事ができる筈だ。
そこまで考えた時、少年が立ち上がってこちらに向き直り、彼の告げた名がエンハウンスの耳に入ってきた。
「止まれ」
近付いてくる相手に『聖葬砲典』を突き付けると彼は大人しくその場に立ち止まった。
もっとも銃に脅えた訳ではあるまい。『聖葬砲典』を見つけるその眼にはせいぜい珍しいものに対する興味程度の感情しか宿っていない。
「復讐騎エンハウンスか。シエルから話だけは聞いていたが、こんな所で出会う事になると思わなかった」
「シエルか。あの女の事だ、あまりいい伝え方はしていないだろう」
「ああ」
少しだけ顔を顰めたエンハウンスに、慧はあっさり頷いた。
エンハウンスはフンと鼻を鳴らし、
「だがそれはお前も同じだぞ七夜慧。吸血鬼如きを庇うとは噂に違わぬ変わり者らしいな」
そこでいったん言葉を切り、チャキと銃を握り直した。
「どけ。貴様に用は無い。俺が殺したいのは後ろの吸血鬼だけだ」
「それは彼女が死徒だからか?」
「そうだ。俺から全てを奪ったバケモノ共から、今度は俺が全てを奪ってやる」
「アルトルージュ・ブリュンスタッドが誰かを眷属にしたという話は聞かない。それでも彼女を殺すのか」
「関係無い。そいつ等はこの世に在る事自体が罪だ。姫だの気取った所でその本性が薄汚い寄生虫である事に変わりは無い。害虫は早めに排除するべきだろう」
エンハウンスの言葉に憎悪が剥き出しになる。
それだけで相手を殺せそうな視線を向けられて、だが慧は顔色一つ変えなかった。
ただ一言、
「……気に入らないな」
とだけ呟いた。
「貴様も“復讐は何も生まない”とか言い出す手合いか」
エンハウンスは視線に蔑みを加えたが、慧は「いいや」と首を振った。
「勘違いするな。俺は復讐という行為自体をどうこう言うつもりはない。アンタと同じような眼にあった事もあるし、復讐を考える気持ちも少しだが理解できる」
淡々と語るそこに嘘や出任せは存在しない。
それを認めて、だからこそエンハウンスは苛立たしげに言葉を荒げた。
「ならば何故邪魔をする!」
「俺が気に入らないのはアンタのやり方だ」
「……………………」
「確かに死徒は人の血を吸うバケモノかもしれない。だがただそうである事をよしとしない者もいる。それを見ず、個に負わされた怨みの償いを全に対し要求するそのやり方が気に食わない」
「俺が間違っていると言いたいのか」
「違う。お前のやり方が間違っているとは思わないし、自分が正しいつもりもない。そもそもモノの善悪なんてのはそいつの価値観で変わるものだろ。だから俺にできるの判断はそれが好きか嫌いかだけだし、その感情の赴くままに行動する事しかできない」
「ハ……つまり、死徒を皆殺しにしたいと言うのも俺の自由と言う事だ」
「ああ。ただ俺はそれが気に入らないからアンタの邪魔をする。アンタはアンタの好きにすればいい」
「面白い……いいだろう。お前を俺の敵と認識してやる」
エンハウンスは少しだけ愉快そうに笑みを浮かべ、躊躇い無く引き鉄を引いた。
後書き
ようやく主人公の名前が出ました。『七夜慧(ななや けい)』と読みます。たまに彗(すい)と間違えられるので念押し。
今回の話は完成後に数回手直しが入っています。
特にエンハウンスと慧の会話部分。当初はエンハウンスが慧に関する噂を色々思い出す、という流れだったのですが……読み返してみるとコレがまた嘘くさい。
独自主人公が嫌われる原因の一つとして必要以上に強く、もしくは大物になりがちというのがあります。
新キャラ登場時に「そいつは今までこんな事をしてきたらしい」という噂を出すのはそのキャラの実力を伝える手っ取り早い手段の一つですが、二次創作の独自キャラ(特に主人公)でこれをやりすぎると原作ユーザーからしてみれば物凄くワザとらしくて「ハァ?」って感じを受けるだけなんですよね。
慧に関しては元々強くする予定なので、ある程度は構わない気もしますが……まぁ自分で読んでこりゃダメだと感じてしまったのでアウト。
一応気を払っていたつもりなんですが、見事に独自主人公のトラップにハマった訳です。
そして一度そういう感想を持ってしまうともうどんな『噂』の書き方をしてもシックリ来ず……。
何度か書き直した後に『聖葬砲典』の整備をしているのはシエルだという設定を思い出し、慧とシエルは既に接触済みにするつもりだった事もあり、共通の知り合いから互いの話を聞いていた、というカタチにしました。
これでも気になる人にはなるのでしょうが、それでも初稿よりは大分マシになったと思います。
本当は今回もちょっと戦わせる予定だったのですが、手直ししてる内に次に流れてしまいました。
と言う訳で次回、慧vsエンハウンスで主人公が本格的に戦います。
お楽しみに。
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