少年は一人の男と相対していた。
整った顔立ちに中世の貴族が着ていそうな豪奢な衣装が映える。
全身から立ち上る異様な気配、それに対して疼く己の血が目の前の男が人ならざるモノであると告げていた。
それらが混然と溶け合った空気は並みの人間ならそれだけで虜になってしまいそうな一種のカリスマとなっている。
だが――
(二流だな)
それもあの黒い少女−そう言えば名前も聞いてなかった−と会った後ではその程度の感想しか抱けない。
彼女と言う至上の宝玉の前では、目の前の男など凡百の石でしかない。
まぁ……それ以前に彼にはそんなものに感銘を受けるようなまともな感性は備わっていなかったが。
その時少年から見て左手の方角で何かが閃いた。
赤い、朱い、紅い光。
戦っている。ここにいても分かる殺気のぶつかり合いに彼は彼女を想った。
激突する気配の片方は紛れも無く先程の少女だ。対する相手の“魔”としての気配は少女とは比べるもない程に小さい。
さらに今の閃きと共に彼女の力が爆発的に跳ね上がったのがわかる。もはや相手に勝ち目はあるまい。
だが――彼は漠然と感じた不安に眉を顰めた。
確かに力は少女の方が遥かに上だ。それでも気配の小さい“魔”の方にこそ底の見えない恐ろしさを感じる。
しかしなんでまた自分はこんなに会ったばかりの相手の心配をしているのか。かなり真剣に案じている自分を不思議に思ったが……まぁ、いい。
ゴチャゴチャと細かい事で悩むのは自分らしくない。助けたいから助ける。自分の行動を決める動機などそれで充分だ。
行動は決まった。そしてそれを実行に移す為にも、
「ザコと遊んでる場合じゃないんだが」
前方の相手に視線を戻した少年の口から言葉が零れた。……おや?
ひくひくと顔を引き攣らせている相手を見て理解する。本音が漏れたらしい。
まぁいいか。あっさり流して彼は再び口を開いた。
「で……俺に何か用か、吸血鬼」
吸血鬼は何かを堪えるように無言でこめかみを押さえていたが、やがて少年に向き直った。
「…………いいさ。君にはこれから死んでもらうんだから。無礼の一つくらい不問にしてあげるよ」
「? はて、アンタから恨みを買った覚えは無いが」
「そんなものはこちらにも無いよ。ボクが君を殺すのはちょっとした暇潰しのようなものさ。向こうの戦いにケリが付くまでのね。全く……君の役目は彼女の力を削ぐ事だっていうのに。与えられた事もできないなら、せめてボクの暇潰しになれば君にも多少の価値が生まれるってものだろう?」
「後半無視して言うが余計にわからないな。向こうで戦っているのがアンタの仲間なら援護に行くべきだと思うが」
妙な予感はあるものの、単純に考えれば少女の勝ちは動くまい。こんなところで呑気にしている場合では無い筈だ。
だが吸血鬼は大仰に頭を振った。
「よしてくれ。只でさえあんな半端者が二十七祖に名を連ねているってだけでも気に入らないのに……仲間だって? 虫唾が走るよ」
さらに芝居がかった仕草でバッと両手を広げる。
「だがこの屈辱も直に終わりさ。今回の任務を果たした暁にはボクも祖の称号を戴く事になっている。アイツが死徒の姫を倒せるならよし。負けてもアイツも復讐騎と呼ばれる存在だ。意地の一つも見せて弱らせるくらいはしてくれるだろう。あとはボクが姫君にとどめを刺してやるさ。ああ……ボクとしてはそっちのが理想だけどね」
「……………………」
成程。二流かと思っていたが、どうやら三流以下だったようだ。これ以上こいつに付き合うのは時間の無駄だとしか思えない。
どの道聞きたい事はあと一つだけ。さっさと済ませてここを立ち去ろう。
「もう一つ尋ねたいんだが……」
「何だい? 君にとってはこの世で最後の問答になるんだ。大抵の事には答えてあげるよ」
「今までの話から推測するに、この街は彼女を誘き出す為にアンタ等が襲ったようだな」
「そうさ。まぁ来るのは黒騎士か白騎士のどちらかだと思っていたから、姫君自身が現れたのにはちょっと驚いたけどね。それで?」
「何故全員を『死者』にした?」
その問を出した瞬間、少年の眼が今までに無い鋭さを見せる。
「誘いが狙いだと言うのならアンタ等が街に入るだけで充分だ。住民全てを『死者』にする必要は無かった筈だ」
「なんだ。そんな事かい」
その眼光に気付いていないのか、その吸血鬼は事も無げに答えを告げた。
「目の前にご馳走があったから平らげただけさ。君たち人間だって生きていく上で必要の無い間食を摂るだろ? それと同じさ。どうせこの街で戦えば住人の大部分は犠牲になるんだ。だったらボクの栄養になった方が有意義じゃないか」
「……へぇ」
「納得したかい? それじゃあ大人しく」
「ああ。お前もういいよ」
少年は腰の刀に手をかけてただ一言を発した。
「死ね」
永月譚〜月姫〜序章‐第四話
戦力差は圧倒的だった。
既に満身創痍の自分に対し、向こうは傷一つない。
いや、傷どころか衣服に一片の穢れも無く立つその姿はいっそ神々しくすらある。
これが『漆黒の姫君』。死徒の頂点に立つ女王の力か。
彼を苛む戦慄にも関わらず、エンハウンスの身体の傷は急速に塞がりつつあった。
『復元呪詛』と呼ばれる吸血鬼が須く備えている自動修復能力だ。局所的に時間を逆行させて傷を“直す”それは時に腕一本からでも全身を再生させると言う。
エンハウンスの『復元呪詛』にそれだけの効力は無いが、それでも今負っている傷を短時間で回復させる事くらい容易い。
だがその“短時間”はこの状況下ではあまりに長すぎる。
剣を杖に辛うじて立っているに過ぎないエンハウンスに、アルトルージュは軽く手を動かした。
子供にボールを投げてやるかのようなゆったりとしたアンダースロー。
それだけで、空間には無数のかまいたちが生まれた。
「――ギッ」
動かぬ身体を無理矢理動かして右に避ける。身体は軋むが棒立ちのまま輪切りにされるよりはるかにマシだ。
そのまま倒れそうになるのを右足を前に出して急制動をかける。そこに――
振り上げた腕を、今度は横に薙ぐ事で発生された衝撃波が襲い掛かった。反射的に魔剣を叩き付けるも勢いに負けて後方に飛ばされる。
「王手、かしらね?」
何とか転倒だけは免れたエンハウンスに、アルトルージュは微笑みかけた。
だがその瞳がまだ力を失っていないのを見て取ると、彼女は再びエンハウンスに手を翳す。
「“Geruehrt”、“Kriegen”」
「――!!!」
次の瞬間青白い光で形成された鎖のようなものがエンハウンスの身体を絡め取っていた。
彼が思わずそれを振り払おうともがくと、
「ぐああああ!!!」
光の鎖が身体に食い込み、そこから高圧電流が流れ込んだ。
体内に直接流される衝撃に苦悶の声を上げる事しか出来ない。
流石に膝を突いたエンハウンスに、アルトルージュが無造作に歩み寄った。
「動かない方がいいわよ。その雷刃の檻を破るのは祖クラスでもちょっと難しいから」
余談だがは今の忠告は実体験に基づいたモノだったりする。
具体的に言うと毎度戯けた事をやらかしてくれる白い馬鹿のお仕置きに組んだ術式なのだが無意識に色々と鬱憤を込めてしまったのかやたら強力な代物になってしまったので当初の用途に使う事は滅多に無い。…………滅多に無いというのは裏を返せばたまに使っていると言う事だが。
できれば忘却の彼方に押しやりたい記憶が数点蘇ってしまい、アルトルージュは顔を少し顰めた。
「私あまり無益な殺生って好きじゃないの。大人しく持ってる情報全部話して、二度と“私”に剣を向けないと誓うなら命までは獲らないけど?」
一応程度の気持ちで言っておくが案の定返事は無かった。
それはそうだろう。この程度の恫喝に屈するようなら何十年も死徒を狩り続けるなんて夢のまた夢だ。
「そう。ならこれでさよならね。思ったより楽しめたわ。おやすみなさい、復讐騎」
翳した手をグッと握り込む。そうすれば連動した雷刃が彼の肉体をバラバラにするだろう。
アルトルージュはそれを実行に移そうとして――何か、エンハウンスがぼそぼそと呟いているのに気付いた。
「何? 今更気が変わったの?」
命を獲らずに済むという安堵と、その程度の相手かという失望が同時に胸に去来する。
エンハウンスの声は小さすぎて聞き取りづらい。かなり痛めつけたのでそれも当然だが。
少し屈み、蹲るエンハウンスに耳を近付けてやる。
「――――――――」
「聞こえないわ。もう少し大きな声で言って頂戴」
「先程の言葉を返すと言ったのだ。余り舐めるなバケモノ」
「!?」
その瞬間、炎が噴き出した。
出所は――この状態になってもまだ手放していなかった彼の魔剣。
そこから禍々しささえ感じる赤黒い炎が、瞬時に間欠泉の如く沸き起こる!
「きゃあ!?」
咄嗟に飛び退くアルトルージュ。わずかでも遅ければどうなっていたか。
だが彼女を追って火柱から飛び出す影が一つ。それは瞬きの間に距離を詰め――振るった魔剣はアルトルージュの左足を膝下から切断した。
イタイ
着地などできる筈も無く無様に転倒した。
イタイ
欠けてしまった足を押さえる。
イタイ
奔る激痛。だがこれは……おかしい。
イタイ
斬られた以上痛むのは当然。でも、
イタイ
どうしてこんな――灼けるようにイタイのか。
思わずのた打ち回りそうになる痛みを抑え付ける。
いつの間にか子供の姿に戻っていたおかげでぶかぶかになったドレスの裾を捲り上げ、アルトルージュは傷口に眼を落として……愕然とした。
見事に切断された左足……その傷口に、先程の炎が纏わり付いている。
ただ付いている訳ではない。その炎は明らかに彼女の『復元呪詛』を阻害し、さらには徐々に左足を侵食していく。
「クッ」
炎が邪魔ならそれをどかしてやればいい。アルトルージュは素早く解呪の構成を編もうとして、
「痛っ!」
奔る痛みがその構成を破壊していった。
なんてコト。炎が傷を侵す痛みは精神の集中すら乱してくる。魔術だろうが能力が精神集中無くして発動はありえない。
この場における治療が不可能である事実を突き付けられて、アルトルージュは心に絶望が生まれるのを感じた。
「痛むか」
頭上から来た声にアルトルージュは何とか顔を上げ、そして一瞬痛みも忘れて眼を見開いた。
そこにエンハウンスがいた。全身に、見るも無残な火傷を負って。
身体を包む赤い外套は裂かれ、燃やされ、もはやまとわり付いているだけと言った様子だ。
彼自身も身体の至る所を炎の舌に弄られ、炎の発生源である魔剣を握っていた右腕に至ってはほとんど炭になっている。
剥き出しの頭部も焼け爛れ、片目が塞がっていた。
信じられなかった。目の前の男に比べれば、今の自分すらまだ軽症に分類されるのでないか。
「それがこの『魔剣アヴェンジャー』の力だ。この刃で出来た傷にはその獄炎が纏わり付き、決して癒される事は無い。そして傷口から徐々に広がり貴様を内側から灼き殺す」
『斬られる』のではなく『灼かれる』だけなら回復阻害は起こらないのか、エンハウンスの傷は急速に直りつつある。
だが『治る』のと『痛まない』のはイコールではない。こうしている今もエンハウンスはアルトルージュが感じている以上の激痛に苛まれている筈なのだ。
それなのに、エンハウンスは平然と言葉を続ける。
「だが安心するがいい。最初に言ったな? 貴様には敬意を表すと」
痛みを感じていないのか。その傷でどうして立っていられるのか。そんなに――――自分を殺したいのか。
自分を見下ろす赤い眼はあくまで理性的に、だがハッキリと狂気を宿していた。
怖い。目の前の復讐鬼を、アルトルージュははじめて恐ろしいと感じた。
「今この場で……楽にしてやる」
魔剣が高々と掲げられていく。
殺される。
その認識は妙に滑らかに意識の中に入ってきた。
「――――ハ」
部下の諫言を聞かずに我侭を通し、こんな死の街の真ん中で、こんなおかしな格好のまま死ぬのか。
なんて――――無様。
「さらばだ――死徒の姫君よ」
魔剣が振り下ろされる。今度こそ逃れる術は無い。
容赦の無い死の予感にアルトルージュは思わず眼を閉じていた。
そして彼女が最後に耳にしたのは、
――ギィン!
と魔剣が地面を叩く音と、
「ちぃ!」
と言う復讐騎の狼狽の声だった。
「…………え?」
まだ、生きている。
恐る恐る眼を開け、見上げたそこに
「よう」
少し前に見送った、黒い背中があった。
後書き
第四話、主人公は、まだ名無し(字足らず。
……ハイ、次回出します。
主人公と相対していた死徒は典型的なやられ役を意識して書いたらなんだか間桐兄くさく……シンジ(ノД`)
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