―――轟!

炎が逆巻き、『死者』達が灰に還っていく。

これでアルトルージュが潰した『死者』の集団は三つ目。『死者』の数では五十体を超えているだろう。

この町の住人の数と照らし合わせると、既に総数の三分の一は処理できた事になる。

そろそろ元凶である死徒から何らかのアクションがあってもおかしくないのだが……。

と、その時アルトルージュの耳にある音が飛び込んできた。遠方で多数の足が大地を踏み締める音。人より優れた死徒の聴覚だからこそ捉える事が出来る音だ。

一瞬新たな『死者』達かとも思ったがどうやら違うようだ。足音はこちらに向かってくる様子も無く、一所に留まっている。

だがこの町でこれだけの数がまとまって動いているとなると、やはり『死者』以外は考えにくい。

となると……

「誰かが『死者』と戦っている?」

普通の人間ではあっと言う間に亡者の仲間入り。この時点でまだ生きている筈が無い。

ならばたまたまこの町に来ていた退魔師か何かが巻き込まれ、交戦している可能性が高いだろう。

……さて、どうしたものか。

正直な所、彼女にその闖入者と接触する必要性は無い。

その退魔師にこの事態を切り抜けるだけの能力がある場合、何より心配せねばならないのはこの町に来ている死徒を倒される事だ。

あくまでアルトルージュが倒してこそ示しになるのであって、通りすがりの部外者に倒させては何の意味も無いのだから。

ならばそいつが『死者』達の相手をしている間に死徒を探し出し、討ってしまうのが最も効率が良い。

のこのこ会いに行けば最悪今回の元凶と思われ、攻撃される可能性もある……と言うよりまずそうなるだろう。

退魔師という人種はその職業柄か、“魔”に属する者には問答無用で仕掛けてくる輩も少なくないからだ。

逆に弱いのであれば……それこそ接触しても仕方あるまい。守ってやる義務は無いし、足手纏いを抱える事にメリット等ある筈も無いのだから。

「ま、普通放っておくわよね……」

そんな事を考えながらアルトルージュの足は音の方に向かって動いていた。

全く、我ながら甘い、と思う。

 

 

 

永月譚〜月姫〜序章‐第二話

 

 

 

本来ならば恋人達や子供連れの家族で賑わっていたであろうその公園は、今はかつての穏やかさとは正逆の喧騒で満たされていた。

聞くに堪えない唸り声と共に一斉に振るわれる二十本近い腕。

それを黒い影は不規則な、それでいて舞を思わせる流麗な動きで躱してゆく。

単純な速さでは無く、様々な技巧を凝らした迅さ。

既に技術を超え、芸術の域に達そうかというそれが、だが見た目通りの美しさのみを宿している訳では無いと思い至るのに二つのモノを必要とした。

影と『死者』が交錯する刹那に閃く剣閃。そしてその度に発せられる人体の倒れ伏す鈍い音。

それが七度続いた所でようやく影が街灯の下に姿を現した。

影としか見えなかったのも道理。その人物は頭の頂点から爪先まで、露になっている顔以外は黒一色の装備に身を包んでいた。

端整と言ってもよい中性的な顔立ち。さほど高くない背丈と肩ほどで乱雑に切られた髪。体型を隠すコート越しにもわかる線の細さ。

見るものに己と逆の性を思わせるであろうそこに、苛烈な絶技が秘められているなど誰が思おう。

黒い前髪の奥、気だるさと鋭さの同居した不思議な眼差しが『死者』達を見据えている。

「…………」

静止は僅かの時間。無造作に垂らされていた右手がスッと引かれる。

指先の無い黒い手袋に覆われた右手には一本の刀が握られていた。

飾り気の無い日本刀。ただ相手を斬る事にのみ特化したその刃は、だからこそ美しく、その在り方はどこかその持ち主を思わせる。

右手と同時に右足も後ろに。半身のそれが作るのは駆け出す為の体勢。

右足に込められる爆発的な力。その身は再び『死者』の群れに飛び込んだ。

すれ違い様に一閃。『死者』の腕を躱し、返す刀でさらに一撃。

その動きは確かに速いが、『死者』に比べればまだ遅いだろう。だが、『死者』の攻撃より遅い斬撃は、『死者』の攻撃より速く決まってゆく。

ありえない現象、不可能を可能にする斬舞は全ての『死者』が倒れるまで途切れる事は無かった。

 

 

 

「……何、アレ」

 そんな言葉が知らず漏れていた。

 眼下の少年−だろう、多分−の強さは想像以上だ。

 少年の周囲に転がる死体の数は二十四。見る限りその悉くを刀一本で処理したらしい。

 それも相手には指一本触れさせず、である。

それを可能にする彼の体術は相当なレベルだったが、それ以上にアルトルージュの眼を惹いたのは『死者』達に刻まれた傷だ。

一撃。単純な刀による一撃で全ての『死者』は動きを止めていた。

だがそれは有り得ない。

既に死徒の操り人形となっている『死者』には急所という物が存在しない。

心臓を抉られようが、首を刎ねられようが彼らには何の痛痒も無い。だからこそ、彼らに対して用いられるのは『殺害』では無く『破壊』であるべきだ。

だが目の前の『死者』達はまるで普通の斬殺死体だ。一体どんな手段を用いればそんな事が可能になるのか……。

アルトルージュの眼が少年の手にしている刀に向けられる。……否、あれでは無理だ。

少年が手にしているのはただの刀だ。おそらく数百年という時間を超えて来たのだろう。一級の概念武装に匹敵する霊的な威力を感じるが、とても『死者』を『殺す』事などできる筈も無い。

ならば……この現象は彼自身の持つ何らかの『能力』に依るモノ、と言う事になる。

――――危険と判断するわ。

眼に見える武器の性能であるなら、受けなければよいだけだ。それが刀であるなら距離をとってしまえば恐れる必要も無い。

だが能力、それも正体不明のそれは何よりも警戒せねばならない。未知の力と言うモノは、時にはるか上位にいる存在すら討ち倒すのだから。

できれば関わり合いになりたくない相手だが……

(それは無理そうね)

一応身を隠しているこちらに対し、当然のように向けられる少年の視線にアルトルージュは悟られぬよう小さく嘆息した。

 

 

 

「こんばんは、剣士様」

少年に歩み寄りながら、アルトルージュはそう言って笑みを浮かべた。

そこには媚びも無く、威圧も無い。

真の威厳とは何をするでもなく、ただそこに在るだけで放たれるものだ。

ならば彼女は紛れも無く『王』の器。相対する者が自然と頭を垂れるであろう気配は、彼女が人の上に立つ存在だと証明している。

その“気”を真正面から受けた少年は

「?」

何の事かわからないと言わんばかりにきょとんと首を傾げていた。

「…………あの、一応貴方の事なのだけれど?」

「ん、そうなのか?」

そう言って彼は眼を丸くした。

「……腰のモノは飾りなのかしら?」

「ん? ああ……これは単にたまたま刀を使ってるってだけだから」

 別に剣士って訳じゃないしなー、とどこかぼんやりと言う少年に、アルトルージュは思わず呆れの籠もった溜息を吐いた。

 なんだか段々先程まで戦っていた人物と別人なのではという気がしてきた。

 しかもこの警戒心の欠片も感じられない態度。こちらが死徒という事にすら気付いてないのではあるまいか。

そんな事を考えながら一旦外した視線を戻したそこに

「あ……」

全てを呑み込む黒があった。

どこまでも遠くを見詰める真っ直ぐな瞳に自分の姿が映っている。

深く、深いそれは全てを包み込み、そして同時にその内にあるものを余す事無く見透かすかのようだ。

だがそこに見られているという不快感は無い。むしろ素の自分を晒す事への安堵すら感じられた。

(あ……魔、眼?)

あまりに惹き付けられる視線に思わずそんな事まで考えてしまう。

だが否。魔眼等というちゃちな代物ではここまで深い瞳はできまい。

「…………ふむ」

果たしてどれだけの間見詰め合っていたのか。

少年は唐突に眼を伏せ、再び上げた時には最初と同じどこか眠たげな力の抜けた眼に戻っていた。

少し悩むようにしばし視線を虚空に彷徨わせ、

「違うか」

「な!」

 ポツリと漏らされたその言葉がようやく呪縛の解けたアルトルージュの癇に障った。

「ちょっと貴方! いきなり人の顔ジロジロ眺めた挙句違うだの何だの随分失礼な事言ってくれるじゃない!」

 先程の威厳はどこに行ったのか。感情剥き出しでガーっと詰め寄る黒いお姫様。

 怒りと、ただの人間相手に見詰められ、それを自然と受け入れてしまっていた事に対する羞恥にか、頬が赤くなっている。

 相手の突然の変わり振りに押されたのか、少年は眼を丸くして責められるままになっていたが、我に返ると慌てて「まぁまぁ」と言うように両手をアルトルージュの前に突き出した。

「別に失礼な事を考えていた訳じゃない。君、一応死徒みたいだからこの街をこんなにしたヤツかとも思ったんだけど……」

「充分失礼だと思うけど……で、どうするの? やるって言うなら相手になるけど」

 わずかに右足を下げ、構えようとするアルトルージュに少年は「いや」とかぶりを振った。

「違う、と言ったろう。君と敵対するつもりはないな」

「何を根拠にそんな事が言えるのかしら。まさかと思うけど見た目が子供だからとか言い出さないでしょうね?」

「それこそまさか、だ。俺は君より幼い外見をした死徒と戦ったことだってある。そもそも“敵”と断ずれば老若男女関係なく切り捨てるよ俺は」

「……余計にわからないわね。なら貴方は何を以って私を“違う”と判断したの?」

 敵にならないと言う少年に、アルトルージュはしつこく食い下がった。

 敵に回せば厄介とわかる相手だからこそ、明確な根拠も無く安易に警戒を解く事はできない。

「ああ……実の所大した理由がある訳じゃないんだ」

そんな彼女の考えを知ってか知らずか、

「ただ君を見て、こんな悪趣味な真似をするようヤツじゃないなって感じただけ」

少年はさらりとそんな事を言った。

「……何、それ。要するにただの勘じゃない。そんなもので貴方は私を信じるって言うの?」

「その通りだ。では訊くが、じゃあ君は何を以って相手を信じる? 外見か? 能力か? 人格か? 確かにそれらも重要だ。しかし穿った見方をしていけばそんなもの何の役にも立たないだろう」

 それは……確かにそうだ。

 外見が整っているに越した事は無い。それは第一印象として見る者に多大な影響を及ぼすから。

 能力は高い方がよいに決まっている。何かをできるというのはそれだけで頼りにされるのだから。

 人格は重要だ。誠実な人柄は様々な欠点を抑えて他人を惹き付けるのだから。

 だが、

 美しさが信頼に足る根拠になる筈もない。

 能力の高さは時として疑心暗鬼の切っ掛けとなる。

誠実な言動が必ずしも演技でないとどうして言えよう。

ならば……何を以って相手を信じればいい?

「結局の所、相手を信じるのは“信じられる”と感じたからだろう。どこでそれを思うかは人それぞれだが……少なくとも俺は現時点で君が信じるに値すると思っている。君が命を弄ぶような外道じゃないと」

「……それはどうも。でも貴方が私を信じているからって、その言葉を私が信じなくちゃいけない道理は無いわね。

さっきの貴方の戦いは見させてもらった。生憎あんなデタラメができる相手から簡単に警戒心を外せる程、私は心が広くないの」

「ああ、それでいいんじゃないか?」

ある意味宣戦布告とも取れるアルトルージュの態度に、あくまで淡々と少年は応えた。

思わず絶句する彼女に構わず彼は言葉を続ける。

「今も言ったがどこで相手を信じるのかは君の自由だ。だから俺が信じられないなら信じなくていいし、俺の存在が我慢できなくなれば殺しに来ればいい」

無論、その場合素直に殺されてやるつもりは無いが。

そう言って彼は締め括った。

「さて、どうかな? こちらの用はすんだが、そちらも特に何も無ければ俺は行きたいのだけど」

 

 

 

(変なヤツだったな)

アルトルージュは少年の歩き去った方向をちらりと見た。

「信じる……か」

あの少年は容姿も性格も関係無くこちらを信じると言った。

それは他のナニモノでもない、『アルトルージュ・ブリュンスタッド』そのものを信じると言う事だ。

この身は……ヒトの血を啜る吸血鬼なのに。いや、彼の言葉を借りるなら信じるには種族すら関係無いと言う事か。

「ああ、そう言えば……名前聞いてなかった」

思えばこちらも名乗っていない。そんな事も忘れるとは我ながら情けない限りだ。

いや……この件に関しては向こうにも非がある。

だいたい彼がまるで見知った相手であるかのように気安く接してくるのが悪いのだ。

アルトルージュがいない相手に責任を押し付けて一人納得した瞬間、

 

彼女の背後から音も無く剣が振り下ろされた。

 

 

 


 

後書き

主人公()顔見せの回で御座いました。

しかし台詞がなんかクドイような……。

もちっと説得力のある言葉をサラリと吐かせたかったが、今の私ではこれが限界です(泣。

次回あたりから本格的な戦闘シーンに入ります。

 

 

<< BACK INDEX NEXT >>