それは神話の再現だった。

 圧倒的な力を振るう『悪魔』とそれに敢然と立ち向かう人間の少年。

 在り来りな英雄譚(サーガ)に登場しそうなそんな光景が目の前で展開されている。

 

 轟、と唸りを上げるは赤黒い大剣。

 人ならぬ『悪魔』よって振るわれるそれが人ならざる力と速度を持つのは当然のこと。

 しかし当たらなければそこに込められた力に何の意味も無い。『悪魔』と対峙する少年はそれこそ神懸りな動きでその全てを躱し、あるいは捌いていく。

 

 しかし、ともすればその少年の所業は過去の如何なる英雄達を超えていたかも知れない。

 伝説に名を残す勇者は必ず強敵に対抗できる特別な装備や特殊能力を所持しているものだ。

 だがその少年は聖剣など持っていないし、魔法の鎧など着込んでいなかった。増してや神々の加護とやらも受けていない。

 神秘を打ち倒すにはそれを超える神秘を用意するしかないというのはこの世界の法則だ。

 ならば……鍛え上げた身体とその身に刻んだ技能だけで最上級の神秘と言って過言では無い『悪魔』と渡り合うあの少年を何と表現すればいいのか。

 

 その在り方自体が奇跡とでも言うべきな少年の戦いぶりをアルトルージュは呆然と見詰めていた。

 

 

 永月譚〜月姫〜序章‐第一話

 

 

 

 事の始まりは数時間前に遡る。

 

 深い森の奥に聳える大きな城。

その玉座に座っているのは145歳くらいの少女だ。

 腰より長い髪は闇の中にあって、なおその黒さを示す漆黒。広い部屋の中にぽつぽつと置かれた明かりに照らされたそれは濡れたように艶やか。

着ているものは中世のお姫様が着ているようなドレス。色はやはり黒。着る者を選ぶその服も、彼女にはこれ以上ないというほどに似合っている。

わずかに見える肌は新雪の如き純白。それが髪や服の黒と引き立て合い、さらに鮮烈な印象を生み出していた。

細く長い眉にすっきりと通った鼻筋、丸みを帯びた小さな顎、紅玉を思わせる色の大きな瞳。まだあどけなさを残した顔立ちは一言で言えば可憐。

魔性のモノとしか言えないその美しさも人ならぬその身を思えば当然か。

 死徒における吸血姫、『黒の姫』アルトルージュ・ブリュンスタッド。それが少女の名だった。

 

――ゴォン

重々しい音と共に玉座の間の扉が開く。それに合わせるようにアルトルージュも軽く閉じていた眼を開いた。

 入ってきたのはこれまた黒い服に身を包んだ男。騎士――彼の雰囲気を一言で表すならこれしか無いだろう。

その身体は無駄無く引き締まり、眼には強靭な意志を感じさせる光が宿っている。

外見は三十歳に届くかどうかと言ったところ。だが彼の端正な顔つきにはどこか永い年月を超えてきた存在、例えば古城や霊山が持つ静謐な風格が備わっていた。

アルトルージュは玉座の前まで来て恭しく礼をするその男−『黒騎士』リィゾ=バール・シュトラウトに声をかける。

「リィゾ、どうかした?」

「はい。領地内の街に死徒が侵入したそうです」

「そう」

溜息をつきながら首肯する。それはこれまでも何度もあった事で別に驚く程のことでは無い。

 ただやはり自分の領域に土足で入り込まれるのはいい気はしなかった。

「お客様が来るのは久し振りね……別に招いた訳じゃ無いけれど」

「これより現地に向かい、処理してまいります」

「いいえ、その必要はないわ」

「は?」

リィゾは予想外の言葉に眼を丸くする。アルトルージュは悪戯っぽい笑みを浮かべながら続けた。

「今回は私が行きます」

「姫様自ら……ですか?」

「ええ、不満?」

不満に決まっている。よりによって護るべき対象である姫を前線に出す騎士がどこにいるのか。

その心中を隠そうともせずにリィゾは険しい表情で諫めの言葉を紡いだ。

「姫様がわざわざ出向かれることではありません」

「私だってたまには運動しなくてはね。それに私本人が動かないから只の死徒如きに舐められるのかも知れないし」

「…………わかりました」

自分の主が意地でも譲らない気でいることを察し、リィゾはこっそり嘆息した。

「リリィ」

「は〜い。お呼びですか、姫様」

 アルトルージュの呼び掛けにどこからともなく一人のメイドが現れる。

 少し内側に巻いた髪をショートにした、美人とは言えないが人懐っこい笑顔が特徴の可愛らしい少女だ。

「侵入者を排除しに行きます。準備お願いできるかしら?」

「姫様自らですかぁ?」

「ええ」

「はぁ」

 リィゾに苦労しますねぇ、と言う視線を投げかける少女。だがアルトルージュがジロリと睨んでいるのに気付いて何事も無かったように笑顔に戻る。

「かしこまりました。門の方に回させますので、そちらにいらして下さい」

 一礼して退出する彼女を見送ってからアルトルージュも立ち上がった。

 

 

 

 アルトルージュ・ブリュンスタッドは『死徒』である。

 厳密に言うと純粋な死徒とは言えないのだが、分類上はそういう事になっている。

 死徒については一般的な吸血鬼を思い浮かべて貰えれば問題無い。ヒトの血を吸い、仮初の永遠を生きるモノ達。

 その頂点に立つ『死徒二十七祖』の第九位が彼女だ。

 第九位と言っても別に九番目に偉いと言う意味でない。

『二十七祖』の数字は階級と言うより番号に近く、現に彼女は『二十七祖』を二分する勢力の一方の長をやっている。

 彼女の一派はいわゆる『穏健派』というヤツで、極力人間と争わずに静かに生きていきたいと願う者達の集まりである。

 化け物が意外な事をと思われるかも知れないが、魔者は決して馬鹿ではない。

無論自分達が人間に劣るとは思わないが、同時に徒に事を構えれば自分達の方も甚大な被害を被る事も理解している。

人間の数は多く、中には『魔法使い』のような超越者までいるのだから。

ならば極力関わらず、距離を保って共存の道を選ぶのが最も賢い道と言えよう。

彼女と願いを同じくする者達が集まり、アルトルージュの勢力はかなりのものになっていた。

と言っても全ての『同志』の面倒を彼女が見ている訳では無く、実際にやっている事と言えば庇護者として名義を貸しているだけなので、実質アルトルージュの『配下』はたった三体の死徒だけという事になる。

さらに吸血鬼も彼女クラスの大物になると一々獲物を探して人の集まる場所を転々としたりはしない。特に現代は救急用という名目で血液を得るのも楽になった。

またここ百年は宿敵と言えるもう一派との抗争も無く、吸血鬼を目の仇にしている聖堂教会との関係も良好と言える。

自然、彼女の活動は僅かになっていく。

一見して直接の戦力は少なく、また目立った動きも無い。そのくせ名目上はとんでもない大物。

これだけの条件が揃えば彼女を直接知らない新参者の中に「ひとつコイツを倒して名を上げてやろう」と思うものが出てくるのは仕方ないことなのかも知れない。

 何十年かに一度くらいの割合でだが、彼女はこの手の身の程をしらない挑戦者の襲撃を受けていた。

 

だから今回もそんなありふれた事件の一つだと、最初は思っていた。

 

 

「これは……」

町中に満ちた死の気配にアルトルージュは思わず呻いた。

今アルトルージュが立っているのは件の町の入り口だ。彼女をここまで送ってきた者たちは少し離れた森の中で待たせてある。

その判断が正しかったとここまで来て確信できた。もし入り口まで付いて来させていたら…おそらく彼らを守ってやる事はできなかっただろう。

何故なら町に入ってわずか数十秒で、アルトルージュの周囲は何人もの人影に囲まれていたのだから。

「『死者』……か」

 アルトルージュは嫌悪と憐憫を込めてその名を呟いた。

 

 吸血鬼に噛まれたモノもまた同じ吸血鬼になる。有名すぎる伝説だがそれは一部だけ真実だった。

 何故なら吸血鬼、即ち『死徒』に噛まれたからと言って必ずしも『死徒』になるとは限らないからだ。

そもそも死徒に血を吸われただけでその者が吸血鬼になる事はありえない。

正確には相手を吸血鬼にするために必要なのは血を吸う事ではなく、死徒が相手に自分の血を流し込む事なのだから。

死徒の血を受け、さらにその者にそれなりの素養があってはじめて死徒となる事ができるのだ。

だがもう一つ、死徒の血を持って変貌するもう一つの吸血種がある。

それが『死者』。

と言っても『死者』は吸血鬼と呼ぶにはあまりに出来損ないの存在だった。

『死者』には吸血鬼としての超抜能力など何一つ備わっていない。

ある意味別個の生命体として“生まれ変わる”『死徒』に対し、『死者』は死体を死徒の力で無理矢理動かしているだけの代物なのだから。

そこには最早生前の記憶も意思もなく、ただただ主の命に従い、主の代わりに血を啜り歩くだけの触覚。哀れな、文字通りの操り人形が『死者』だ。

 

――怨怨怨怨怨怨怨怨怨!!!

その呟きに反応したのか、『死者』の一体がアルトルージュに踊りかかった。

人形じみた不自然な動きとは裏腹に、その速度は並みの人間をはるかに凌いでいる。

人という器が持ちながら自滅を避けるために無意識に抑えている性能、その全てが極限まで引き出されているのだ。

数メートルが瞬きの間に詰められる。振り上げられる腕にはまともに受ければ少女の小さな身体など一撃で破壊しうる威力が込められているだろう。

だがその豪腕はアルトルージュが無造作に掲げた片手で受け止められた。

「――!?――――!」

腕を掴まれた『死者』がアルトルージュの腕を振り解こうともがく。しかし少女の手折れそうな細い指の拘束が弛む事は無かった。

思えばそれも当然。『死者』が人の性能を限界まで引き出しているとして、それ以前に少女は人を超えた存在なのだから。

アルトルージュがそのまま力任せに『死者』の腕を引き寄せる。

過負荷に耐え損ねた腕が千切れ飛び、こちらの眼前に身体を投げ出す形になった『死者』にアルトルージュは容赦無くその爪を振るった。

『死者』の身体が瞬時にバラバラになる。その断末魔を皮切りに、彼女を囲んでいた亡者たちが一斉に動き出した。

八方より何本もの腕が伸ばされる。その光景にアルトルージュは形の良い眉を顰めた。

彼女のパワーとスピードは『死者』達を大きく凌いでいる。だがそれがこの多勢に無勢の状況でどれほどの優位となろう。

そもそも戦闘者でない彼女に接近戦でこれだけの数を捌く技術は無い。

ならば――接近戦以外の状態に持ち込めばよい。

全身の力を込めて跳躍。軽い彼女の身体はあっさり重力の楔から解き放たれる。

殺到し、集結しようとしていた『死者』達の囲みをアルトルージュは一息に跳び越えた。

敵集団から数十メートル離れた位置に着地。足元の地面に両手を付け――彼女は己の能力を発動させた。

 

――対象構造読解

 手に触れた箇所よりモノの構造、その“設計図”を読み取り、

――構成要素解析

 地面を構成する材質、それをさらに最小単位である『要素』で理解し、

――要素結合解除

 モノを構成する力を解除、『要素』レベルに分解し、

――新構造再構成

組み上げた新たな“設計図”を、既存の物と差し替え、

――要素結合再開

 それを基に『要素』を再結合する。

 

アルトルージュの眼前に、無数の『棘』が出現していた。

前方、『死者』達がいる空間を含めた五十メートル四方の地面を剣山に『創り変えた』のだ。

その手に触れたモノを最小単位で分解し、新たな存在として再構成する事。『破壊』と『再生』がアルトルージュ・ブリュンスタッドの能力だった。

 

己の創りあげたモノを前にアルトルージュは視線を上に上げた。

そこには先程の『死者』達が百舌の速贄のように棘に貫かれ、もがいている。

まだ足りない。その身を貫かれたくらいでは『死者』は止まらない。

もはや生命体ではない『死者』の動きを止めるには、それこそ活動できなくなるまで完全に破壊し尽くすしかないのだ。

だからもう一手。

剣山に背を向けたアルトルージュが一回指を鳴らし、それで終わった。

――――!!!

轟音と共に棘の一つが爆発した。その棘に貫かれていた『死者』は瞬時に粉々になり、その破片も爆炎に巻かれ燃え尽きる。

続く爆音。内部を爆薬に『創り変えられていた』無数の剣山は無数の爆弾となり、貫いた『死者』もろとも炎上した。

浄化の炎によって『死者』達があるべき場に還っていく。その送り火にアルトルージュはただ一言だけ呟いた。

Gute Nacht(おやすみなさい)」

 

 

 


 

後書き

はじめまして、悠久と言います。

今回初めてSSを執筆、投稿させてもらいました。

眼の肥えた方々から見て色々拙い部分も多いかと思いますが、ちょっとでも面白いと思って頂ければ幸いです。

 

アルトルージュ勢の解説やアルトルージュが出撃する件はもうちょっと無理の無い内容に出来た気も……。

 

アルトルージュの能力はもろ某錬金術です(汗。

アルトは変身する→服どーしてるの?→自分で作り変えてるに違いあるめぇ、という我ながら物凄く頭悪そうな理論の元決定されました(笑。

 

 

 

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